追いすがるように声をかけてくる、円陣の姿をした老魔導師を残して、男はその小屋を出た。
 パタン、と後ろ手に戸を閉めると、彼はその色彩豊かなマントを己の身にばさりと巻き付ける。
 周囲が急速に薄くなって遠ざかってゆく感覚と共に、彼の心は移動先である聖域へと一足先に飛んでいた。
 残してきた老魔導師の心配は、していなかった。
 彼と共にいる者──希望の結晶──が、彼の檻を解き放って最後の鍵を手に入れることはもうわかっていることだったから。

 マントがはらりと体からすべり落ちる頃には、男は既に大木の根元に佇んでいた。
 大きく、息を吸い込む。
 枯れ果てた木と落ち葉の匂いが、それでも男に生気をかすかに伝えてくる。
 男の帽子に宿っている雛達も、マナの気配を感じたのか、にわかにさえずり出した。

 マナの木は、先の大戦で燃え落ちてしまい、実体は失われてしまっている。
 男が立っているのは、イメージで作られた霊的な存在である、マナの木の根元であった。
 本来ならば霊的エネルギーであるマナが本質であり、いわゆる実体は器に過ぎない。
 けれど、宿るべき器を持たず、マナも人間達の搾取で損なわれてしまっている現状では、マナの木は非常に危うい状態であった。
 燃え尽きてしまった後に、わずかに存在した愛を求める者らの意志を反映して、おぼろにその形骸だけを形作ってきたのだ。
 けれど、その姿は未だ立ち枯れたままである。新緑はまだ、萌え出ていない。

 男がその生誕の瞬間から見守ってきた希望の結晶は、今、聖剣を手に入れようとしている。
 それが振るわれるのもそう遠くはないであろう。
 何も知らない、無垢な魂に、少しずつ、少しずつ、愛の意味を知る手がかりを与えてきた。
 愛の意味そのものではない。それは、彼の者が自身で知らねばならないことであるから。
 あやういバランスを保ってきたファ・ディールに限界が近づいている以上、彼の者はまさしく、最後の希望であった。
 これで駄目なら、もはや人間とファ・ディールに未来はない。ゆるやかに世界は終焉を迎えるだろう。
 けれど、男は彼の者が未来を切り拓くことを確信していた。
 なぜなら、それは住民や大地──生けとし生けるものの望みでもあったからだ。
 求める心がある限り、人は人として生きてゆける。認識する者がいる限り、大地は大地として存在し得る。

 人々の望みとはマナの木を復活させることそのものではない。求める心を取り戻すことこそが、愛を知ることに繋がり、世界を再び瑞々しく彩っていくのだ。
 マナの木はむしろ、世界と住民のありさまを写し取る鏡のようなものであり、相対的な存在に過ぎない。
 老魔導師でさえ誤解していたが、マナの木は己の力を知るきっかけに過ぎない。たしかにマナが凝縮されてはいるが、それ自体が力を秘めているのではないのだ。
 力は、人の心の中にある。

 ふいに、空間がたわむ。
 実体のないイメージだけのこの聖域に、何者かが侵入してきたのだ。
 別次元への口をこじあけるその力は、その者の意志の力に他ならない。
 そのすさまじい力に、男の嘴に笑みが浮かぶ。
 純粋で強烈なその波動に、かすかに木が震えた。
 その小さな、けれど揺るぎない意志を秘めた者は、静かにこちらへ向かってくる。
 男は、それに向かって一礼した。
「マナの聖域へようこそ」

 魂の輝きをそのままに映し出せる世界が、もうすぐ再来する。

 end.


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