暗愚

 燃えるような夕陽が、絨毯の赤をいっそう鮮やかに染め変えていた。
 窓に目をやり、その色合いにしばし見とれた後、男は視線をテーブルの向かいに戻す。
 男の向かい側の椅子には、円陣が陣取っている。
 それは、かつて召喚に用いられた紋様であったが、今や使役者の形代となり果てていた。
 その円陣の表に浮かんでいる表情は、部屋に入ってきたときから頑ななままである。
 男は、しばし円陣の顔を見つめた後、口火を切った。
「ヌヌザック。もうわかっているだろうが、私が君をここに呼んだのは、君の授業のことだ」
 円陣は、相変わらず沈黙を守っている。
「私の方針として、授業の中身はそれぞれの教師に一任しているし、口出しはしないつもりだ。
 …ただし、生徒および保護者からの苦情があれば話は別だ。
 私達の給料は、彼らの出す授業料でまかなわれている」
 ヌヌザックはかすかにうなだれたが、固い表情を崩さなかった。
「私は、多少の無茶は大目にみている。けれど…毒にも薬にもならない授業は勘弁してくれないか、ヌヌザック?」
 その言葉に、初めてヌヌザックは視線を上げて、
「学園長。力は、災いを招くのみです」
とだけつぶやいた。
「そうかな? 力は必要だ。力がなければ、何もできない」
 二人分の魔力を継承しているとささやかれる男は、あっさりと言ってのけた。
「私は、君を雇っている人間だが、君には敬意を払っているつもりだ。私よりも豊富な実戦経験や知識を蓄えている君からは、いろいろと教えを請いたいとも思っている。
 力は不要だと達観してしまうのは、それだけ君が大きな力を持っているからだ。
 大抵の者は、力が欲しくてもなかなか得られないものだよ。
 全てとはいわない。その一端だけでも生徒に示してやることはできないかね?」
「…そうして、優秀な生徒を輩出しても、結局は争いを増長させるだけです。
 学園長。私は、遠い昔から人間や妖精達の争いを見てきました。
 人間は、争わずにはいられない生き物なのです」
「そうかもしれない。けれど、どんなに平和な時でも人は力を欲するものだよ。この私のようにね」
 そう言って、メフィヤーンスはにやりと笑った。
「それに、君はあの珠魅には魔法を教えているじゃないか。えこひいきだとぼやく生徒もおるのだぞ?」
 エメロードのことを持ち出されて、ヌヌザックは途端にあたふたし出す。
「あ、あれは…特別です。珠魅は狙われておりますゆえ」
「ふーむ…あれはなかなか興味深い研究対象だと思っているのだがな」
 メフィヤーンスの言葉に、ヌヌザックは顔色を変える。
「学園長…! 珠魅の血塗られた歴史は、これ以上、くり返してはならぬのです…!」
「ほう…? 私は核を取るとは言っていないが、やけにむきになるのだな」
 薄く笑いを浮かべながら、学園長は円陣を興味深く見やった。
「珠魅が滅びの道をたどっていることは、私も知っているよ。核をもぎとってしまえば、もう二度と元に戻れないこともね。生きている珠魅をむざむざ殺す真似などせぬよ」
 ヌヌザックの表情は固いままだったが、かすかに安堵の息をつくのがメフィヤーンスにもわかった。
「死者を奈落から呼び戻す術など、ない」
 そう言って、メフィヤーンスは次第に色を失ってゆく夕焼けに目を向ける。
 その言葉に、ヌヌザックはメフィヤーンスの横顔を見上げた。
 学園長の弟が雪原で行方不明になったという話は、教師だけでなく生徒達にも知れ渡っていることだった。
「ヌヌザック。力を持っていても、かなわぬことがあるのだよ。
 それでも…いや、だからこそ、人は力を求める。
 そして、この学園はそういう要求を満たす一つの場だ」
 ヌヌザックは反射的に何かを言いかけたが、口をつぐんでうなだれた。
「…結局、話は平行線のままだったな。もう下がってよいぞ、ヌヌザック」
 そう言って、メフィヤーンスは立ち上がった。
「はい…では失礼します」
 ヌヌザックも椅子から降りて、そのまま部屋を出ていく。

 ヌヌザックを見送った後、メフィヤーンスはしばらく佇んでいたが、ふと部屋の角にある棚に歩み寄って扉を開いた。
 そして、その奥から無造作に布に包まれた、こぶし大の物を取り出す。
 それを持って、メフィヤーンスはもはや最前の色を失いかけている窓際へと歩み寄った。
 窓からは、最後のひとすじの光がまださし込んでいる。
 メフィヤーンスは、その弱々しい光の中で、包みを解いた。
 中から出てきたのは、一粒の大きなエメラルドだった。
 それを指でつまみ上げて、消えゆく夕陽にかざす。
 奇跡のように大きなそのエメラルドは、光を吸い込み、拡散して、煌めきを放った。
 大きいだけでなく、瑕瑾のないそれは、珠魅の核だった。
 ヌヌザックのかわいがっている珠魅の胸の核と同じくらいの価値がありそうだった。
(これを見せたら、ヌヌザックはどんな顔をしただろうか)
 そんな意地の悪い考えがふと脳裏をよぎったが、すぐにその考えを払い落とす。
(珠魅はもはや泣くこともできず、この核は蘇ることもない。そう、私の弟のように…)
 なのに、自分は未だ雪原に執着し、そしてこの核を実験材料に回すこともせず、ただしまい込んでいる。
(私は、いったい何を期待しているのだろうな?)
 視界のきかなくなってきた薄暗い部屋の中で、メフィヤーンスは独り、自嘲的な笑いを浮かべた。
 エメラルドは、彼の手の中で、ちかりと最後の煌めきを放った。

 (了)

ゲームの中で最初に会う時は、この二人の教師はそれぞれ、トンデモっぷりを見せつけてくれます。
しかし、プレイを進めていく内に、この二人がそれぞれ鬱屈したものを抱えていることがわかってきます。
タイトルはきついものになってしまいましたが、後ろ向きな二人の心情をあえてそう名付けた次第です。

メフィヤーンスはエメロードの姉の核やディアナの心の鍵など、さまざまな物を学園長室に隠し持っていますが、
後ろを向いたまま、前へ進めずにいた彼がそれらを所持していた事が、何かの符号のように思えてなりません。
「こおれる過去」の後のメフィヤーンスの心の軌跡も、いつか書いてみたいテーマです。

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