ルシェイメアが墜ちた日
大きな、色鮮やかな鳥の背から事の終末を眺めていた。眺めるしか、できなかった。
あの巨大なワームが、関節部分が次々と外れて崩れていく様は、壮観だった。
きっと、すごい物音と地響きをたてたのであろう。
でも、あまり現実味がないのはなぜだろうか。
奇妙に、ゆっくりと流れゆく光景だった。
違う。
のろのろと流れゆくのは、事態ではなく、私の意識。
私の思考が、淵の澱みのように一ケ所を渦巻いているから。
鳥の背から降ろされ、司祭の死を告げられ、ようやく我が家に帰りついたその間の出来事でさえ、霞の向こうの事のように、なぜかひどく遠く感じられる。
悪魔は倒され、ルシェイメアは、墜ちた。
でも、それがなんになろう?
私の中では、何も終わっていない。
街道で知り合った猫の僧兵に聖騎士が切りかかっていった刹那。
考えるよりも先に、手が出ていた。
多分、彼よりも彼女と先に知り合っていた…それだけの情。
或いは、宿屋で見た、彼女の懊悩する姿。
彼女を選んだ理由はいくらでも挙げられる。そして、彼女を選んだ理由は、彼を殺したことの言い訳にはならない。
私の得物が彼の肩から心臓にかけてずぶりと沈み込んだあの瞬間。
自分の行為の意味に気づいたのは、全てが終わった後だった。
どうしても譲れない、自分の道。彼らは、自分の道を駆け抜けた。
その己の信じる道へのこだわりを、どうして私が変えることができただろうか?
…何度も何度もぐるぐる巡る思考。答えは出ない。
己のしたことに意味を見いだそうとすることに、意味はあるのだろうか。
そう、私は救われたいだけ。自分を、正当化したいだけ。
己を貫いて、生き急いだ者達。
息絶える瞬間まで、聖騎士の瞳の中にほとばしる激しさは消えることがなかった。
私の浴びた返り血が、いつしか乾いて、ぱらぱらとはがれ落ちていった。
そして、人間を「醜い」と淡々と語った悪魔の瞳は、静かな湖面のようだった。
その静けさの意味が、絶望だったのかもしれないとふと思ったのは、彼の身体が塵となり、空中に霧散していく瞬間のことだった。
悔しさも、憎しみも、何も映していない瞳。
なぜなのだろう。なぜ、倒した私よりも穏やかな表情。
取り残された私の方が、殺された無念を抱いた亡霊のような、みしみしと胸の潰れそうな。
彼は、解放されたのだろうか。
彼と心を通わせていたという司祭も、その遺体は空に溶けるようにして消えたという。
塵となった二人は、時間と場所を越えたどこかで、再びまみえるのだろうか。
私が、相変わらずこうして地上に這いつくばり、その日その日をあくせくと生きていくその上を、軽やかに飛翔して、私の届かない高みに昇っていく二人が、どこかにいるのかもしれない。
彼らの冥福を祈れるほどに私は偉くもないし、達観もできない。
聖騎士と悪魔を殺したのは私。僧兵の悩みを解決できず、司祭の命の火が消えていくのをただ傍観するしかなかったのも私。
彼らのためにひとしずくの涙を落とすことさえ、私の立場では不遜なことなのだ。
彼らの運命にこれほどまでに首をつっこみながらも、結局何も変えられなかった私にできるのは、ただ生き続けること。この命一つと、朱に染まった両の手をもって。
風よ、吹け。
今日だけは、私の悲しみも逡巡も、彼らの魂も、何もかも乗せて。その透明な手で。
(了)
主人公は、奈落でのあの二人の会話も、
選びとらずに倒した者の魂の行方も、知りません。
結局何もできなかったとしても、
あの四人の行方を見届けたことに意義があるのかもしれない。