無窮

貴方が私を創りました。
貴方が私を揺さぶりました。
貴方が私の殻を破りました。

貴方の赤。
燃えるような赤。
己を訴えて止まない、意志の炎。
貴方に照らされ、貴方に暖められ、貴方に心を焦がされ、
そして今私がここにいる。

この小暗い夢見の間に閉じ込められながら、
心はどこまでも広がっていた。
今になってわかる…私は自らの手で自分を閉ざしていたのだと。

ふと目線を上げてみれば、
世界はどこまでも果てしなく広がっていた。
この部屋の中にひっそりと横たわりながら、
私は遠い田舎町に吹き渡る風を感じ、
石畳の街角に落ちる月影にうっとりとし、
遥かな海原の揺れる水面の彩りに心奪われ…

ああ…あの明かり取りから漏れるかすかな日射しが
私にいろんなことを教えてくれるわ。

貴方が私に教えてくれました。
世界はただそこに存在するのではない…自分で創るものだと。
それに気づいた時から、
私が世界だと思っていたものは大きく揺れ、壊れ、
そして全く新しい光景がそこに広がっていた。

私を縛るものなぞ、何もありはしなかったのだ。

私が私であることは誰にも止められないし、
私が私であることをやめたなら、
その時点でこの世界に私は存続できなくなる。
私という存在を支える意志の炎は消えてしまうのだ。

ただ老いていく私の身の振り方について、
影で論議が交わされ、
そして私を悪魔に魅入られた者と謗る者もいる。
そんな人すらも愛おしい。
彼女は彼女の理想像を私になんとか当てはめ、
そして自分の世界を構築しようとあがいている。
己を打ち立てようとするその行為に、
意志の炎が揺らめいているのが見て取れる。
他の誰も持ち得ない、ただ一つの炎。
彼女だけの炎。
理想の司祭、理想のガトを示すことで、
彼女は己自身を訴えている。
彼女は生きている。
意志の炎の揺らめきに、
私は彼女が私の世界にはっきりと存在するのを感じる。

この広い世界の中、
星の数ほどの命が存在していて、
だのに、たった一つの命を見つめるだけでも、
その存在のたしかさに心打たれる。
皆、生きている。
私を縛ろうとするのではなく、
己の世界を構築するために生きている。

時に寄り添い、より大きく燃え上がり、
時に衝突し、火花を散らして燃え上がり、
ああ…なんて鮮やかなのだろう。
なんてまぶしいのだろう。
命とは、意志とは、これほどに美しいものなのか。

私に、遥かな高みで聖者の笑みを浮かべてほしいと望んだ幼なじみ。
聖騎士であることを誇りにしていた。
忍び寄る崩壊の影の中、それでも聖騎士であることに執着し、
誇りにし、己の唯一の支えとしていた。
彼は口には出さなかったけれど、
時代が崩壊する予感を感じていた。
その影におびえ、
その影から目をそらし、
けれど己の世界を守るために戦っていた。
触れるものを片端から傷つけてしまいそうな程に
彼の意志は研ぎすまされ、
どんどん頑なになっていった。
己の意志に忠実であることはどんなにか苦しいであろうに、
それでも彼は己を貫くことをやめなかった。
彼は、鋼鉄だ。
大地を耕す鍬ではなく、
生命を傷つける剣という名の鋼鉄。
崩れそうなものを守るにはそれしかなかった。
傷つけることでしか守れなかった。
彼は茨の道を選んだ。
酒に溺れ、己の信じるものを捨てる方がたやすかろうに、
茨の道を、己自身をも傷つけながら突き進む。
そこには覆いようもなく彼の誇りが輝きを放っている。
闇の中で自然と光を放つ鉱物のように、
彼は彼自身の光で己を照らし、
他の何物の光にも頼ろうとしない。
そのきらめきは私を打ってやまない。
共に微笑んだあの日の笑みも、
今の孤独な光をはらむまなざしも、
同じ彼。
私の心にたしかに住まう存在。

誰もが幸せになってほしいと望んだ幼なじみ。
司祭ではない、一人の私を案じてくれた数少ない友人。
彼女もまた、茨の道を選んだ人だ。
己の世界を構築し、己の幸せを貫くだけでもし難いことなのに、
彼女は己以外の人の世界を満たし、
己以外の人の幸せを創ろうともがいていた。
けれど、それは偽善ではなく、
慈善ですらない。
彼女は殊更に慈善行為をしようとしているのではなく、
他の人の微笑みを見るのが好きだという、それだけのことで
茨の道を選んだ。
他人の笑みを己の幸せとすることができる彼女は、
なんて豊かな世界を持つのだろう。
なんてまっすぐな心根なのだろう。
その意志の炎の暖かさに何度暖められてきたことだろう。
けれど、暖かいだけでなく強さもそこにはある。
自分が正しいと思ったことを貫こうとする強さ。
もう一人の幼なじみとはまた異なるきらめきを、
彼女もまた持っている。
幼い頃に私にじゃれついた時の毛並みの柔らかさはそのままに、
いつか確固とした意志をもつ存在へと変貌していた。
あの遠い日の笑い声も、
今の私に向けられた悲痛な声も、
同じ彼女。
妹のような、懐かしく恋しい存在。

ああ、貴方。
私の周りはこんなにもきらめきに満ちている。
そして、私は貴方のきらめきに憧れ、惹かれ、
焦がれて止まない。
小さく縮こまっていた私の炎を解き放った貴方。
貴方は気づかないのね。
貴方には力がある。
悪魔の力よりももっと大きな力。
私の世界を崩し、変えてしまった力。
これに名を与えるのは簡単だけど、
名を与えたら何かが変わってしまう気がする。
それでも私は言いましょう。

愛しています。
愛している。
いつまでも、これからも。
生まれる前から愛していた。
この先永遠の別れがあっても、心は繋がっているわ。
いつか死後に奈落の洗礼を受け、記憶を洗われて
お互いがお互いのことを忘れたとしても、
それでも変わらないものがある。

あのね、今頃わかったの。
「俺はお前を食らいつくしたいだけさ」という
言葉の意味が。
どうでもいい相手に、わざわざそんなこと言わないわよね?
私への優しさを一生懸命に否定しようとしていた。
けれど、むきになっていたことで、
逆にわかってしまった。

貴方の炎が私の檻を燃やし尽し、
私が自由になったあの時、
私はようやく生まれました。
そして、私が世界を見渡した時、
既に貴方はいなかった。

貴方が消えてから十年が経ち、
私は相変わらずこの部屋に横たわっている。

もう貴方はそばにはいないけれど、
でも感じるの。
あの赤い炎を。
たとえこの先会えることがないとしても、
二度と微笑み合うことがかなわなくとも、
貴方がくれた炎が私を力強く照らし出してくれている。
それだけで私は満たされ、
微笑んでいられます。
真の消滅とは、
死ではなく忘却なのね。
私の世界には、
貴方という炎が絶えることなく燃えさかっている。

貴方が私を創りました。
貴方が私を揺さぶりました。
貴方が私の殻を破りました。

ありがとう。
永遠に愛しています。

あの夢見の間でひっそりと横たわるマチルダは、
司祭という地位に縛られ、急速な老いに蝕まれ、
なのになんと豊かな世界を持っていたのでしょう。
失うことを恐れることを止めた時、
人はこれほど豊かな世界を持てるのかと驚くばかりです。

この詩の二連目の「貴方の赤。」は、
きゅうさんの描いたマチルダの絵にあった
「貴方の『赤』。」というフレーズからいただきました。
そんなわけで、この詩はきゅうさんに捧げます。
きゅうさん、素敵な刺激をありがとうございました。

* きゅうさんのサイト *
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