伝説が生まれた日

 一刻前まではこぢんまりとして暖かだったその場所に、今までよりもひときわ大きな破壊音が轟く。
 もう、壁も暖炉も椅子も、ほとんどその原形を留めていなかった。
 そして、今壊れたのは──

「ジェームズ───ッ!!」

 絶叫と共に、赤い髪をふり乱しながら彼女は、倒れている彼の元に駆け寄った。
 どろどろと、真っ赤な血がとめどなく床に流れ出していく。
 のぞきこむ彼女の涙が、彼の頬を打つ。
「……リ、リー…」
 かろうじて薄目を開け、笑みらしきものを微かに片頬に浮かべながら、彼は手を差し伸べようとした。
 けれど、その掌は永遠に彼女の頬には届かなかった。
 今の攻撃で、既にその右手は腕ごともぎ取られていたのだ。けれど、彼は己の右腕がなくなっていることにも未だ気づいていない。
 彼の命のともしびが消えていくのを感じて、彼女の頭の中が一瞬、真っ白になる。
 それでも、彼女が気力をふり絞って彼の名を呼ぼうとした瞬間、とどめの攻撃が光の矢となって、彼の胸板を貫いた。
 大きくのけぞり、がくんと沈み込む身体。その瞳からは既に、生命の輝きは失われていた。
 目の前で起こった事実を彼女が理解しきる前に、無慈悲な声が響いてきた。
「私に逆らった愚か者の末路は皆、こうなる。奴の子どもとて、例外ではない」
 その言葉に、呆然としていた彼女が文字どおり跳ね起きる。そしてそのまま、彼らの背後にあった揺りかごの前に仁王立ちになった。
 いつもは大人しいこの赤子は、先刻の父親の死の瞬間から激しく泣き出していた。
「させない!」
 普段は穏やかな彼女の緑色の瞳が、激しく燃え上がる翠色の炎となる。
「この子だけは…!」
 抵抗の言葉と共に、彼女の体が魔力で満ちてゆく。
「お前に用はない。どけ」
 その言葉にも彼女は微動だにせず、魔力を収束し続けた。
「…愚か者には愚か者が番うか。よかろう、お前ごとその子を始末してやろう」
 禍々しき者が、その腕をふりかざす。
 ほぼ同時に、彼女も両腕を大きく空に伸ばした。

 深くよどんだ闇と、峻烈な光が、両者の間で衝突した。

 正反対の魔力のぶつかり合いに、空間までもが軋む。
 余裕を示すかのように、男が片眉を上げる。 
 彼女の方は、身体ごとじわじわと押されつつあった。
 全魔力を放出しつつ、彼女が背後の揺りかごにわずかに意識を向けた時、闇が一気に彼女をのした。
 彼女の足元がぐらつき、背後の揺りかごもガタンと揺れる。
 後は、闇が最後のひと押しをすれば全てが終わるはずだった。

 意識をそらした瞬間に彼女の耳に入ったのは、この破壊と殺戮の現場に似つかわしくない赤子の泣き声だった。
 懐かしいその声に、彼女の腹の底から大きな力がせり上がる。
 愛しいその名を心の中で叫びながら、彼女はその力を小さな生命の上に注いだ。惜しみなく。

 闇にその身体を削られながらも彼女が放出する光がひときわ大きくなったことに、男がいぶかしんだその瞬間、光が弾けた。
 闇に、亀裂が入る。
 ひとたび入った亀裂は、またたく間に拡散していく光によって容赦なく引き裂かれていく。
「……馬鹿な!」
 男のうめき声は、かき消されてゆく闇と共に、呑み込まれていった。

 一瞬の空白の後に、辺りに静寂が舞い降りた。
 禍々しき気配は、その肉体と共に霧散しており、辺りには家の残骸と住人の無惨な遺骸が残されているばかりだった。
 揺りかごも、足が一本折れ飛んで、かしいでいる。
 …その揺りかごから、か細い子猫の声が聞こえてきた。
 いや、子猫ではない。だんだんと大きくなるその泣き声は、人間の赤子のものだった。
 もはや、父親の大きな手も、母親の温かな懐も失われていることも知らず、赤子はぬくもりを求めて泣き続ける。
 壮絶な戦いの中を生き延びたその赤子の額には、稲妻のような傷が付いていた。
 その傷跡にわずかな鮮血をにじませたまま、赤子は泣き続けている。
 自分が伝説になったことも、まもなくバイクの爆音を轟かせて迎えが来ることも、この子どもは未だ知らない。

 今、新たな物語への扉が開かれる。
 両親とその仲間達の密やかな物語を受け継ぎ、紡いでゆきながら。

 end

両親の死は、例え記憶にないとしてもハリーの心に大きな影を落としました。

けれど、ハリーにはそのことで自分を責めないでほしい。苦しまないでほしい。
二人は、大切なものを守りきった誇らしさと共に、天に召されたはずだから。

いつの日か、この出来事が罪悪感ではなく、両親の確かな愛情の証として、
ハリーの胸にかすかでもぬくもりを宿してくれる日が来ることを願ってやみません。

[ 文机 ]