覚醒 〜動き出した時間〜

「僕らは、目覚めたんだ」
 そう、目の前の少年に告げた。自分と同じとんがり帽子の、同じ瞳を持つ少年に。
 そのとんがり帽子が、あの情景にそのまま重なる。
 無数のとんがり帽子がうごめいていたあの修羅場が、生まれて初めて見た光景。
 自分の目の前には腹に穴の空いた人間が倒れていて、苦悶の声をあげていた。
 獣のようなうめき声と、その体一面を染めていた血が今でも脳裏から離れない。鮮やかな赤が、かえって不自然で現実味のない光景となっていた。
 うめき、身をよじり、そしてついには動かなくなった“にんげん”。
 …僕が、やったのか?
 しかし、とまどう時間は与えられていなかった。
 あちこちで爆音が起こり、「さあ、どんどん行くのです!」という叱咤の声が自分にも容赦なく浴びせられる。
 そして、どんどん破壊行為を行うとんがり帽子達。

 これは一体、なんなのだ?

 周りをふり返ると、ショーウィンドウのガラスが目に入った。そのガラスの向こうからこちらを見つめるとんがり帽子がいた。
 思わずぎょっとし、後ずさった。
 すると、相手も全く同じ反応を示す。
 自分に相手をおびやかすようなものがあったのだろうかと驚き、自分の体を見下ろす。
 同じ衣装だった。
 …まさか。
 自分の頭に手をやる。
 その手が帽子のつばに触れる。
 そして、ガラスの向こうのとんがり帽子も全く同じ行動をとっていた。
 まさか。まさか。

 右手を、ガラスの向こうの相手に向けてゆっくり振る。
 相手も、全く同じタイミングで同じ動きをする。

 底なしの闇に、一瞬引きずり込まれた気がした。


   あれは、僕だ。


 気づくと駆け出していた。
 どこへ逃げればいいのかなどわからなかった。
 何から逃げているのかその時はわからなかった。
 でも、逃げ出さずにはいられなかった。
 なにもかもが恐ろしかった。なにもかも。


 走り疲れ、足取りがふらつき始めた頃、ふと一軒の家のわきに小さなものが動いているのが見えた。
 四つ足の小さな、白い生き物だった。
 何気なくそこへ近寄っていこうとすると、突然何かが転げるように家の影から飛び出してきた。
 そして、その小さな生き物をさっと抱きかかえ、こちらを睨みつけている。
 小さな子供だった。
「シ、シキに手を出すなっ!」
 そう言った声は震えていて、そしてその生き物を抱える手にぎゅっと力を込める。
 誤解を解こうとし、その子供に近寄ろうとすると、その体がびくんと震えた。
 それでもその生き物を自分の中に抱え込むように腕の中に隠し、そして僕を見上げる。
 その瞳に浮かぶ恐怖の色が、憎しみの色が、僕に対する気持ちを雄弁に語っていた。
 その瞳が、その全身が、力一杯に僕を拒絶していた。

      『お前なんか嫌いだ』    『消えてしまえ』

 違うと言いたかった。でも、言葉にならなかった。
 腹に穴の空いた人間が脳裏に蘇る。
 違うなどと言えるわけがなかった。

 僕は一体、なんなのだ?
 僕は一体、何をした?
 僕は一体……



「……あの、」
 ふいに耳に入った声に、現実に引き戻される。
 そうだった。
 ここは戦場ではなく、平和な村。
 ここは『お墓』。
 そして、目の前には少年がいる。
 あの子のように拒絶しない瞳が自分を見つめていた。
 僕らと同じ瞳。
「ボク達って、作られたのかな…?」
 そうつぶやいてうなだれる少年。
「…そうらしいね。でも、誰かを殺したり何かを壊したいなんてこれっぽっちも思わない。
 この村にいるみんなが同じ気持ちなんだよ。
 だから、逃げ出した。
 君も、何かを壊したり傷つけたりなんてしたくないんだろう?」
「うん」
 少年はこっくりとうなづく。
「だったら、」
 僕はにっこりしながら言う。
「君も仲間だよ」
 “にんげん”と一緒に来た少年。
 僕らを利用しようとしたり怖がったりしない“にんげん”達。
 ひょっとしたら、この少年が僕らの希望の糸になるのかもしれない。
 ふと、そんな気がした。
「君に頼みがあるんだ」
「え?」
 少年が僕を見上げる。
「彼ら──あの人間たちと一緒に、これからも旅を続けるんだろう?
 君に、世界を見てきてほしいんだ。彼らと一緒に。
 そして、どんなことが起こっているのか、世界はどうなるのか、僕らに教えてほしい」
 少年は一瞬目をぱちくりとさせたが、すぐにうなずいた。
「わかったよ。ボク、いろんなもの見てくるね。ボク、まだわからないことが多いし…」
「よろしく、頼むよ」
「うん」
 少年は大きくうなづくと、村の入り口へ向かって駆け出した。
 その後ろ姿に、迷いはなかった。


   僕らの時間は限られているけれど、何かできるはずだ。
   目覚めたことには何か意味があると思いたい。
   僕らは、道具じゃない。
   願わくは、僕らの時間が止まってしまう前に───

Fin

気づいた時には、既に罪を犯していた。
自分の存在する意味について思いが及んだのは、ようやく立ち止まった後のことだった。

それでも、手をこまねいてただ息をひそめているわけじゃない。
隠れ里で、ひっそりと己の存在意義を求める思索は続いている。

お墓に、入ってしまう前に。

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