拠点
《道しるべ》
『人はね、死ぬとお星様になるのよ』
そう教えられた。まだ、背伸びをしなければ窓枠の外をのぞけなかったあの頃に。
そばでにこにこと笑っているパパもママも、いつかはあそこへ行ってしまうのだろうか。
遠い、遠いあの暗い世界の彼方へ。
そう思うと、ぞっとした。
「そんなの、うそだもん」
あたしはぶんぶん首を振ってそう言った。なんだか恐かった。
おやおや、というような顔をして、パパが頭をなでる。
「大丈夫さ、マリベル。清らかな魂は天に召されて、そして闇を照らす明かりとなるんだ」
そう言って夜空を見上げたパパの顔は、なんだかどこかへふわりと浮かんでしまいそうな感じがした。
つられて窓の外を見上げれば、そこには相変わらず星がぎらぎらと瞬いていた。
「うそよ。だって、どんどん人が死んだら、星だらけでお空がぎゅうぎゅうになっちゃうもん」
この胸のもやもやをとっぱらいたくて、ぎゅっと唇の端に力を入れてせいいっぱいのポーカーフェイスを作った。
ママは片手で口を押さえて笑い、パパは、はっはっはっと大きな声でお腹を揺すって笑い出した。
パパの顔が本当に愉快そうで、さっきのどこかへ飛んでいってしまいそうな雰囲気がなかったのであたしはほっとしてしまった。
そして、なんか居心地が悪くて、ぷいとそっぽを向いた。
今、同じ窓から空を見上げている。
それがなんだかとても不思議だった。
あの頃と変わらないはずなのに、なんだかひどく変わってしまったような気がする。
なんでだろう。
あの頃届かなかった窓枠に今は易々とひじをつけるから?
あるいは、仲間と別れたからだろうか。
そう、あの日、久しぶりにこの村に帰ってきて、今は一人でこの部屋にいる。
ベッドの天蓋からは相変わらずあたしの好きな薄桃色の紗がかかっていて、ドレッサーのマホガニーはあたしがいない間にも律義に磨き続けられたせいか、しっとりと艶を放っている。
ここが多分、あたしの帰るべきところ。あたしの落ち着くべき先。
なのにそんな気がしない。
故郷に帰ったという安心感もない。
あたしの頭の中をよぎるのは、あの野宿の夜の地面の露けさや、ちっぽけな村の固いベッドの粗い木目や、眠れないのかふらふら外へ出ていった馬鹿アルスのおぼろな後ろ姿とか、そんなのばかり。
あの馬鹿ったらしょっちゅう夜に外に出ていくものだから、そのたびにあたしは慌てて探したっけ。
そう、あれはキーファがいなくなった後の出来事だった。
ぼけっと夜空を眺めていたアルスにあたしが喝を入れたあの時、見上げた夜空は変わらないきらめきで満ちていた。
あの後、戦闘でさんざん苦労をする羽目になって、勝手に抜け出したキーファを今更ながら恨んだりしたけれど、けれどキーファが抜けることは誰にも止められなかったのだろう。
あの夜空の瞬きを誰も止められないのと同じことで。
…誰も? ひょっとしたら、魔王とかいう奴ならあの美しい夜空を荒らしてしまうかもしれない。
そんなこと、させやしない。このマリベル様の目が黒い内は、絶対にさせないんだから。
あの星空は美しいだけではない。
長い漁猟の船旅に出る、フィッシュベルの男達の大切な道しるべでもあるのだ。
男達が遠洋へと出航した後、女達は男達が身につける物を作り始める。
それは上着だったりお守りだったりして特に何とは決まってはいないけれど、太陽が沈んだ後は家の中で針仕事をするのがこの村の習わしなのだ。
そして、この男達がいない間の針仕事は特別なもので、村一番の富豪の妻であるママもこの時だけはランプの元でちくちくと縫い物をしていた。
ママはお上品だから、作る物もハンカチやお守りなどの小ぶりで上品なものばかりだったけれど、それでもパパは、そんなママの手作りの品をとても楽しみにしているようだった。
「一針一針に、祈りを込めるの。
海の幸を今年も分けていただけるように、と海の神様にお願いするの。
そして、どうか皆が無事に帰って来れますように、と夜空の星にお願いするの。
星が、あの人達を導いてくれるのよ。
死者の魂は、生者を守る灯火なの」
幼いあたしを傍らに置きながら、そんなことを一人語りのようにささやき、縫い物を続けていたママの手の白さが未だに記憶の中に残っている。
それはきっと、村の女達皆の願いであり、想いであるのだろう。
あたしも夜空に向かってこっそりとお祈りをしたことがある。
パパが、皆が無事に帰って来れますように。
そして、いつかあたしも一緒に船旅に出られますように。
…そうなのだ。あたしは、家に籠もって祈る側でいたくなかった。
雄々しく旅立ち、収穫物を高々と掲げて帰港する側でいたかった。
女達の留守の間の針仕事が下らないなんて本当は思ってない。
祈りを込めて縫っていたママの横顔は、本当に美しかった。
けれど、それでもあたしは家の中で大人しく男達の帰りを待つなんて我慢がならなかった。
ひょっとしたらたった今にも飲み水が足りなくなって、喉の渇きにのたうち回っているかもしれない。
大物が引っかかって、皆で引き上げるのに苦労しているかもしれない。
そう思うと、この平和な家の中で安穏としてただ留守を守ることが堪えられなかった。
安全な場所でささやかな祈りを捧げることは、それがいいとか悪いとかいう以前にあたしには我慢がならないことなのだ。
あたしも、船旅に出たい。そして、収穫物をお土産として受け取るのではなく、自分の手でつかみ取ってみたい。
大漁で戻ってきた時の男達の晴れやかな笑顔は、どんなに不細工で情けない者でさえ男前に見せてしまう。
魔力のようなその笑顔は、勝利の笑顔なのだ。
家の中でただ守られて大人しくしている女達には味わえない、どんな愉悦があるのだろうか。
そう思うと、あたしの中の血が沸き立つ。
きっと、あたしは男に生まれ損なったのかもしれないとふと思うこともある。
華やかなベッドの天蓋も好きだし、ドレスも好きだ。お肌の手入れだって怠らないようにしている。
けれど、村の女達が抱かないこの焦がれる想いは、そうでも思わないと説明がつかない。
お転婆呼ばわりされるけれど、そんなものじゃない。
そんな生やさしいものでは、ないのだ。
だから、アルスとキーファにくっついていった。
あたしの内できしきしと軋むこの何かを解き放つために。
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