拠点
《帰るところ》
パパが危ない。
そう聞いた時、足元の空間が抜け落ちたような気がした。
わかっていたはずなのに。人はいつか死ぬ。
ううん。わかりたくない。失う事実も痛みも。
今までにいろいろと見てきた。
あのままこの村に引きこもっていたら知らなかったはずの、さまざまな出来事を。
大切な兄を奪われた人の痛みが肥大したあの末路は、悲しいという一言では片づけたくない。
不吉な雨の話を奇人呼ばわりされようと説き続けた人の活力の源は、村の皆と自分の時間をわけもわからず奪われた痛みをこれ以上増やさないためだった。
愛する人の胸に飛び込めず、けれど焦がれる想いを生涯抱き続けてそのまま墓場に持って行った女性もいた。墓石に刻まれたあの言葉は、後世には風化しても焦がれた相手の胸には確かに届いたのだ。
愛しい人を娶りたいあまりに一族を欺き続けた人の償いの旅は、壮絶というにはひたすら地味で、そして重苦しいはずのその姿は不思議と透明感に満ちあふれていた。あの軽やかな音色が、その証。
本当に、いろいろと見てきた。
喜びも痛みも、時代を越えてたしかに伝わる思いも、歪んでしまった愛情も。
けれど、そんな光景や人々に、時に心を引きずられることはあっても、あたしはやっぱり傍観者に過ぎなかった。
今回、いやというほどそれを思い知らされた。
パパはこの村一番の富豪で、船主だ。パパが死んだらこの村の人達はとても困るだろう。
けれど、それは他の国々や別の時代の人にはなんてことのない出来事なのだ。
あたしが今までの旅の中で見てきたさまざまな出来事は、このフィッシュベルの人達にはなんの関係もないことで、そんなことがあったとも知らずに皆、過ごしている。
裏返せば、パパの危篤も遠い時代や国の人達には全然関係のないことなのだ。
そんなちっぽけな出来事に、今までに見てきたどの国の悲劇よりも、どの家族の喜びよりも心を揺さぶられてしまうあたしがいた。
他人の運命や死には手出しを憚られる何かがあったけれど、パパの死という想像はとうてい受け入れがたいものだった。
あなたがそばにいることが何よりの薬になる、という神父様の言葉が、最後にあたしの背中を一押しした。
あたしは旅をあきらめてパパのそばに付き添うことにした。
いや。絶対にいや。
あの星の仲間入りをしてしまうなんて、そんなのいや。
夜空を照らさなくてもいい。道しるべになんてならなくていい。
皆が必要なのは、道しるべの明かりとしてのパパじゃなくて、船主としてのパパなのだ。
そして、あたしのパパなのだ。そう、それだけで十分。
あたしの父親なのだから、それだけで、いてほしいという立派な理由になる。
まだ白髪頭にもなっていないのに逝ってしまうなんて、そんなの許さない。
そんな運命も病も、あたしは認めない。
そして今更ながらに気づく。
あたしが家を飛び出して旅が出来たのは、パパとママが元気でいると思っていたからだということに。
…キーファ。
今更だけど、あんたを尊敬するわ。
あの時、あたしとあんたは同じ種類の人間だと思ったけれど、違った。
身内を切り離すというのは、特別なことなのだ…本当に。
二度と笑顔を見ることもかなわず、死に目にも会えないということの重みが今、しんしんとあたしの心をひたしていく。
あいつは、一度城に戻って別れの挨拶をするということすらしなかった。
反対されて引き留められてしまうという危惧もあったのだろうけれど、それよりは挨拶もしないことですっぱりと切り捨てたということなのだ…きっと。
自分の居場所と家族を捨てることは、自分自身を捨てることだ。
あたしには、できない。
あたしは、世界中のどこにいても、遠い時空の果てに行き着いたとしても、それでもパパとママの子だ。
あんまり過保護だからいらつくこともあるけれど、それでもこの絆はたとえ世界がひっくり返っても変わらないもので、空気のように当たり前のことなのだ。
キーファが見つけたものは、そんな大事なものでさえ捨ててしまえるほど価値があったのだろうか。
…あたしにはわからないけれど、きっと、あいつにとっては人生の中で一等大切なものだったんだろう。
そして、あたしはどんな遠くへ旅に出てもここへまた戻ってくる。
パパやママに念入りに約束させられるまでもなく、ここがあたしの帰る場所なのだ。
それに、どんな遠くの時空をさまよっても、いつもアルスがそばにいた。
どんな出来事にでくわしても、どんなに旅になじんでも、アルスのあのへたれた帽子を見るとあたしはこの故郷の村の潮騒を思い出せたし、旅先で魚料理を食べた時に「うちで取れる魚の方が数十倍おいしいわよ」と自信を持って文句を言えた。
遠い時代の途中で漁村を見た時に、なんだかフィッシュベルに似ているわね、と語りかける相手がいた。
そして今、アルスはいない。
懐かしいフィッシュベルにいるはずなのに、落ち着かないのはパパの容態のせいばかりではない…多分。
あたしのこのいらいらや不安をぶつける場所がないのだ、とふいに気づいた。
「パパは死にやしないわよ」と大口を叩ける相手は、ママや侍女や神父さんではない。
この村の漁師達でもない。
大丈夫ですか、とか、大丈夫よね、と尋ねたり同意を求めてくる人はいても、大丈夫だよ、と言ってくれる人が、いない。
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