同じ空の下に
《置いてけぼり》
ふと夜中に目が覚めた。
初めての寝床で寝ることはとうに慣れていたはずだし、だから寝つけないわけじゃなかった。
なんで目が覚めたんだろうと思いながらなにげなく周りを見渡すと、隣のベッドが空だった。
アルスがいない。
その向こうのベッドではガボが平和に高いびきをかいている。
まただわ。あの馬鹿ったら!
急いでベッドから降りて、その空のベッドのくしゃくしゃになった寝床に触れてみる。
温かかった。まだ抜け出したばかりだ。
そして、アルスの帽子と短衣が見当たらなかった。つまり、身支度を整えて出ていったというわけで、ちょっと手洗いに行ったとかそういうことではないことになる。
あたしは急いで服を着替えて身支度を整えた。
今までにもアルスが夜中にふらふらと外に出ることが何度かあり、そのたびにあたし達は事件に巻き込まれてきた。
あの馬鹿、きっと事件を吸い寄せる力でもあるんだわ。
それに、例え事件でなくても夜の外出は危険だ。
昼間は街や村に入ってこないモンスターが夜も同じく入ってこないとは限らない。
アルスってば考えなしにふらふらとあちこち行くし、特に寝ぼけていたら村の外にもうっかり出かねない。
魔物に食われでもしたらどうするつもりなんだか。
あたしを守るのがあいつの役目なのに、なんでこう世話を焼かせるのよ、あのとんちきは。
心の中で悪態をつきながら宿をそっと出てゆき、武器をしっかりと握りしめながらあちこちを探した。
そしてようやく、村はずれで草むらに両足を投げ出して空を仰ぎ見ているアルスを見つけた。
「…何してるのよ?」
声をかけたらようやくあたしに気づいて、
「マリベル!? どうしたの?」
ととぼけた返事をしてきた。
「どうした? どうしたじゃないわよ! 夜中に外で何しているのよ?
モンスターに取って食われたいわけ!?」
どなりつけても、あの馬鹿はへらへらしていて、
「あ、うん。星を見てたんだ」
とのんきな返事をする。
「ひょっとして心配してくれたの?」
と言われて、なんだか無性に腹が立った。
「んなわけないでしょ!
リーダーはあんたなんだからね。あんたがいなきゃ誰があたしを守るのよ?」
と返したら、うなだれてしまった。
こんなことでしょげるヤツじゃなかったはずよね、といぶかしんでいると、
「…そうだね。キーファもいないんだし、僕がしっかりしないと」
と言い、あたしを見上げたその顔は暗やみの中に溶けてしまいそうに頼りなげだった。
まだ気にしている。キーファのことを。
あたしはふぅとため息をついてアルスの隣に腰を下ろした。
「あれがあいつの選んだ道なのよ。あんたも男なら、うじうじせずにいい加減割り切りなさいよ」
キーファ。あたし達の村によく遊びに来ていた王子様。って、様を付けるほどじゃないわね。
近所の悪ガキと同レベルよ、あれは。アルスとよく犬のようにじゃれあっていた。
王子のくせにアルスの家にいりびたって、おばさまが作ったつくだ煮をうめぇうめぇと食べていた。
あまりに嬉しそうなので城でよっぽどまずいものでも食べているのかと思ったら、お城のメニューは聞くだけでもかなり豪華なものだった。
たしかにおばさまの料理の腕は村でも一、二番を争うけど、こんなちっぽけな村の料理が好みなんて変わっていたわね。
本当に変なやつだったわ。そして、やっぱり変人で、王子であることをやめてしまった。
遠い時の狭間に自分から飛び込んでいった。
そして二度と戻らなかった。
あの時はさすがのあたしも驚いたわね。
だけど、あの時は自分から消えていったあの変人よりもアルスの方が問題だった。
剣の使い手が抜けたのは痛かったけれど、それよりも茫然としているアルスをしゃんとさせることにあたしは必死で、当時、キーファのことは正直いってあまり頭になかった。
どうでもよかった、というのとは違う。
あれは、あいつが自分で決めたことだから。自分で決めた道を進もうとしていたから、あたしは止めなかった。
最初はあの美人の踊子に目がくらんだのかと思ったけれど、それだけじゃなかった。
ユバール一の剣の使い手と戦い、うち負かして自分の力を証明した時のあいつの顔は、恐いくらいに真剣だった。いつものキーファならモンスターを倒すと喜んだりほっとするのに、相手を倒し、周囲から拍手をもらいながらもなお、ひきしまった顔をしていた。
これから背負う重みを意識した人間の顔だった。フィッシュベルで笑い声をあげていた無邪気な王子の面影が、たった一晩経っただけできれいに消えていた。
あの顔を見た時、キーファが変わったことを感じた。
なんだか知らないけれど、あいつは一歩を踏み出したのだ。そう思った。
だから、パーティから離脱すると聞いた時も驚いたけど止めなかった。
家を飛び出してアルスと一緒に旅をしているあたしも、二度と城に戻らないと決めたキーファも、きっとどこか同じなのだ。
大切な人を心配させてでもせずにはいられない何かがある。
わがままなのは百も承知で、だけどそれをわがままだと一言でくくられては我慢がならない。
ちりちりと心が焦げそうなこの思いは、多分誰にでもあるわけではないのだろう。
退屈で死にそうな村で一生を終えることになんの疑問も持たない人達には、きっとこの痛みは理解できない。
あたしは、あたしなのだ。誰がなんと言おうとも。
だから、キーファはきっと自分を見つけたのだろう。あの時ようやく。
理屈じゃなくてそう思った。だから行かせた。
それだけだ。
でも、アルスはいまだにうじうじしている。置いてけぼりをくらったと思っている。
そうじゃない。
むしろ、キーファがようやくアルスと同じところに立ったのだ。
同じスタートラインに。
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