出立の日
《決心》
「お前は、俺につき合う必要はない。」
そうつぶやいた狼の武人の背中には、私の知らない何かがずっしりとのしかかっていた。だから、彼に付いていった。重荷を軽くしてあげたい。「一人で背負うことはない」と言いたかった。それだけ。
「ねえ、死んだら魂はどこに行くのかしら?」
そう問いかけた猫の僧兵の瞳の中には、ありとあらゆるものが渦巻いていた。希望と絶望と、達観と無明と。私には、彼女の思考そのものが死後の魂の行方と同じくらいに興味深いものに思われた。だから、彼女の自問自答の答えを見届けたいと思った。それだけ。
「輝きをなくした石に制裁を!」
人を殺すのになぜ、そこまで誇らしげに、高々と宣言できるのか。珠魅の胸元から宝石をつかみ出す瞬間のチャイナドレスの美女の顔は、勝利の笑みで輝き、そしてひとすじの狂気がにじんでいた。なぜか、ふと、哀しい人だと思った。人殺しなのに。“制裁”の理由が知りたかった。それだけ。
なにかを望み、欲し、それに立ち向かう人の心からふとまろび出る、透きとおるような煌めき。
かすかな、かすかな、土に落ちて消えてしまいそうな、すっと差し込むようなひとかけら。
はるかな昔に別れた姉に会いたいと望んだ武人がいた。
さらさらと流れる砂のように失われてゆく友人の命を押しとどめたいと望んだ僧兵がいた。
誰にでも優しく、我が身を削り続けた少女の生命の息吹を再び盛りかえしたいと望んだ騎士がいた。
全ては、愛する人のために。肉親のために。友人のために。パートナーのために。
そこには、私の未だ知らない愛の形があった。
色合いを変え、形を変え、時代を越え、それでも、人々の心に脈々と受け継がれるもの。
それらを“愛”と一言で呼ぶのはたやすいことだけど、多分、皆、違うものなのだ。
そして、皆、同じものなのだ。多分。
血で塗り固められ、凝った私の記憶と心を踏みしだき、突き破り、芽吹くもの。
この手を血で染め、この身体を罪で染めながらもなお、私は何かに突き動かされる。
何を求めているのかもわからないままに。
何に呼ばれているかもわからないままに。
懐かしい、聞いたこともない声に誘われて。
今、私はまた旅に出る。
読みかけの本を閉じ、そして、棚の上においてあった一振りの剣を取り上げる。
不思議な声に「剣をイメージしなさい」と言われるままに思い浮かべ、そしていつの間にか私の腕の中にあった剣。
…アーティファクト。
この、優しい光を帯びた、凛とした剣の導く先には一体何が待っているのだろうか。
何に急かされているわけでもないのに、妙に胸騒ぎがする。
多分、行かなければならないのだろう。
私の知らない出来事が。
私の知っている運命が。
…待っている。きっと。
行き先は、風が教えてくれるだろう。
この剣一振りを携えて。
扉を開いたら、切れ端じゃない青空が広がっていた。
さわさわと、葉ずれの音が聞こえてくる。
…大丈夫。きっと、ここに戻ってこれる。
ここは、私の帰る場所なのだから。
そして私はようやく、一歩を踏み出す。
(了)
主人公を惹きつけてやまないものは、突き動かし続けたものは、
マイホームの草人がその一身に浴び続けたものと同じもの。
優しさやぬくもりだけが愛ではない。
時に激しく、時に容赦ないその力を受け止め、そして旅立つ一歩は、
重いけれど決して悲壮感に満ちたそれではありません。
──『惜しみなく愛は奪う』に敬意を表して──