零れた、掌中の珠

《予告状》

 最悪の瞬間が来た。怖れていた時が。


  …だめだ、真珠、行かないでくれ…!
   オレを独りにしないでくれ… どうか…

 そう、怖れていたのは孤独。ようやく見つけた仲間を失うこと。
 みんな、消えてゆく。オレの手から滑り落ちる。
 虚ろな輝きを放っていた紅玉も、未来があることを信じて疑わなかった翠玉も。
 オレの目の前で光の泡となり、くだけ散った仲間達。
 そして白い真珠も消えた。黒い真珠に呑み込まれて。


 事の起こりは例によって真珠が消えたことだった。
 ただし、いつもの迷子ではなかった。アイツの家にいたのに、消えたのだ。
 アイツに詰め寄ろうとしていたその時、ぱさりと一枚のカードが地面に落ちた。

 あの女だ。

 カードを拾い上げる前からもうわかっていた。
 すぐにでも飛び出していこうとしたオレをいったん留め、アイツは武器を取り出してうなずいた。
 そして、カードに書かれてあった洞窟へと一緒に急いだ。
 ワナだということは百も承知だった。
 けれどそれがどうした?
 オレは真珠を守る。そう決めたんだ。オレの腕の中で目覚めたあの無垢な瞳を見た瞬間から。
 ようやく手に入れた、オレの仲間。オレのパートナー。

 この腕の中で、傷ついた黒い核がみるみるうちに白い核へと染め変えられていったあの時。
 喜びも不安も、安堵も焦燥も、なにもかもここから始まった。
 オレは仲間を手にいれた。夢にまで見た仲間。
 そして苛まれる。真珠が行方不明になるたびに。
 アイツに出会ってからも真珠の方向音痴ぶりは相変わらずで、焦って探すオレのことをアイツはよく茶化した。
 焦って当たり前じゃないか。真珠はオレのパートナーなんだから。オレが守るべき人だ。
 それに真珠は戦えない。自分の身を守れない。
 オレがいなきゃ、ダメなんだ。オレが守ってやらないと。


  ずっとそう思ってきた。思い込んできた。
   …そう思いたかっただけだった。手遅れになってようやく、気づいた。


 洞窟の奥に、朱色が閃いた。青白いゆらめきも。
 焦げるような怒りと糸が切れたような安堵感がどっと押し寄せ、オレは一目散に駆け寄った。
 ほの暗い洞窟の中で鮮やかに咲き誇る朱色の花二輪。
「キサマ…!」
 オレの怒声にもたじろぐことなく、その女はあでやかに笑った。
「ようやく来たのね」
 そう言って、腕の中の真珠をくっと胸元に引き寄せる。ドレスの蒼が頼りなく揺れた。
「るりくん…」
「真珠を離せ!」
 剣の柄に手をかけながら思わず声を荒げる。
「あらあら、せっかちね。おっと、そちらも手出しは無用よ?」
 見ると、いつの間にかアイツもオレのそばに立っていた。
 真珠が人質にとられている以上、下手な身動きはとれない。
 奥歯をきしませながらその女を睨みつけていると、ふいに真珠がその女に語りかけた。
「どうして、こんなことをするの…?」
 すると、オレの怒声にも平然としていたその女の目尻がぴくんとかすかに動いた。
「…どうして? どうしてというの、あなたが?
 あなたの太古の記憶は失われてしまったのかしらね…?」
 その瞬間、核を射抜かれた気がした。
 太古の記憶。あの黒く気高い人の面影が脳裏をよぎる。
 まさか。やめろ、それ以上言うな。
「記憶…?」
「…そう、憶えてないのね」
 かすかに目を伏せたように見えたのはオレの目の錯覚か。
「それならば、あなたの胸の核に尋ねてごらんなさい。
 そう、輝きを失ったその石ころにね…」
 つぅと、その指先が真珠の胸元に伸びる。
 気づいた時は剣を抜いてその女に詰め寄っていた。
「オレ達は、石っころじゃない!!」
 珠魅の敵。珠魅の核をオモチャ程度にしか考えてない、クズ共。
 怒りのありたけを視線に込めてその女を睨みつける。
 そのオレの視線を真正面から受け止め、その女は不敵に笑った。
 そして真珠の耳元でささやく。
「助かりたければ、泣いてごらんなさい。
 泣いて命乞いすれば、許してあげるわ」
 その言葉にはじかれたように真珠は面を上げる。
「…泣けないわ。涙が、出ないんですもの」
「そう。なら死になさい」
 とっさに斬りかかろうとしたオレにすかさず牽制のナイフが飛んでくる。傍らにいたアイツにも。
「泣けない珠魅に、何の価値があるというの?」
 嘲笑を浮かべながらオレを見つめる。
「真珠は、大事なオレのパートナーだ! それで十分だ!
 これ以上…これ以上、珠魅の核をオモチャにはさせない…」
 一瞬、その女の顔が無表情になった。奇妙な、透明なまなざしがそこにあった。
 しかし、次の瞬間には元のふてぶてしい笑みを浮かべていた。
「泣けないお姫様が、そんなに大事なのね?
 それなら、あなたが傷ついた時は一体誰があなたの傷を癒すのかしら?」
 …なんだ、こいつは? なぜ、そんなことを言い出すんだ?
 オレがわずかにたじろいだ時、不意に背後から声が響いてきた。

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