或るプロローグ

《出会い》

 その日は薄曇りだった。空と海の境は模糊として、はっきりしない。
 そんな光景を眺め、佇んでいる一人の男がいた。ひょろりとして、学者風の身なりをしている。その眼鏡は鈍い日射しを照り返し、その奥にある瞳は窺えない。
 彼は、今、途方に暮れていた。
 一族と袂を分かち、姫を時の干渉を受けぬ宝石箱パンドラに封じたまではよかったが、それは応急処置に過ぎなかった。姫のボロボロになった核を癒してあげなければ、箱から出すことさえも出来ない。いつまでも窮屈な思いをさせるわけにもいかなかった。
(私がもし涙を流せるものならば、百万遍でも涙を流して差し上げるのに…私の命など惜しくはないのに…)
 姫には、宝石泥棒に狙われているのでもう少しここに隠れていて下さるようにと説明してある。本当のことを知ったら、すぐさま都市に戻り、また涙を流そうとすることは容易に想像できた。
(マナ・ストーン…)
 触れた者の望みが叶うという石。大地のエネルギーの結晶。古来、それをめぐって幾多の争いが行なわれてきたことだろうか。そう簡単に見つかるものならば、とっくに誰かが手にしている。
 パールも姫の命で探していたが、そのパールは、自分が既に倒してしまっている。
(パールの言っていた、聖剣とやらをまず探すべきか…?)
 しかし、その剣もいったいどこにあるのだろうか。

 シャリッ…

 ふいに思考を醒まされ、彼は音のする方を見た。
 そこにいたのは、今までに見たこともない種族だった。亀の甲羅のような背に、ヒレの付いた顔、セイウチのような後ろ足、そして人間に似た両腕。
(海の者…母体は貝か?)
 それは、彼に近づいてくると、しばし彼に見入った。
「……金緑石とは、これはまた珍しい」
「!!」
 その言葉に男は両腕を後ろに組み、それに向き合った。眼鏡の奥の目が、スゥと細められる。
「…貴方は何者なのですか?事と次第によっては…」
 しかし、そんな彼の視線をこともなげに受けとめ、それは言った。
「名のるほどの名は、ない。美しきものを愛する者、それだけだ」

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