蝶・きままWJ感想

■25号 05/28 (日)
アイシールド21 185th down:阿含と雲水
阿含が、まっすぐにセナだけを見つめている。その鋭い眼光はまるで、進のようだ。
『お前のその暴力的なまでの強さは、遅れている凡才たちを振り返る事からは、決して生まれない…!!』
この点も進と同じですね。ただ、進は凡才を振り返らないだけで、彼らを馬鹿にすることはしないという決定的なモラルの違いはありますが。
だんだんと、阿含がよい(善人という意味ではなく)キャラになってまいりました。高みを目指す男達。そういう意味では、セナもヒル魔も進も桜庭も葉柱も、そして阿含もなんら変わりはない。(最も、阿含の場合は頂点に君臨し続けるという違いはありますが。)

まもりが、セナの庇護役から脱皮しました…!

ヒル魔が冷や汗ダラダラたらしながら煽ってますよ! 今まで煽る時にこんな汗はかいてなかったのに。この余裕のなさが、状況の危うさを雄弁に物語ってますなぁ。

冒頭で阿含をいい男に描いておき、そしてこの兄弟エピソードを持ってくるとは! とどめを刺されましたよ。
阿含は、雲水を認めていなかったわけでは、なかった。
凡人に分類される兄を雲子ちゃん呼ばわりしながらも、「使ってやってもいいぜ」などと彼だけ特別扱いしていたのは、彼の才能ではなくその努力を認めていたからだった。
実力の世界では、同情は、失礼なこと。努力して努力して、そのあげく報われなかった兄の絶望と、それでも同情を拒否するプライド。
阿含がどうでもいいはずの凡才をなぜか執拗に嘲り、積極的に彼らの希望の芽を踏みにじろうとするのは、もしかしたら兄のこの時の言葉を聞いてからそうするようになったのだろうか。
だとしたら、彼が栗田の推薦内定に横槍を入れて、彼を推薦枠から蹴り落としたのも、『兄貴のように絶望してどん底に落ちてしまう前に、早めに蹴落としてやるってのが情けってもんだ』という気持ちからかもしれない。
親切心というわけではないだろうが、凡才に対して同情も励ましもせず、自分の圧倒的な力を見せつけて実力をはっきりとわからせてやる、というスタンスは、兄に対してそうすると決めた以上、誰に対してもそうする彼なりのスポーツマンとしての姿勢なのだな、と理解できた途端、今までの疑問などが全て、氷解しました。
そういう意味では、凡人達に興味のない進とは違い、努力する凡人に兄の姿を重ねて『努力したって才能のない奴は無駄なんだよ!』とわざわざ示し続ける阿含は、進より人間味があるといえます。一種の憎まれ役でもありますが、彼はそんなつもりもないだろうし、凡人の妬みなど、いたくもかゆくもない。その飄々ぶりはいいなぁ。
ただ、試合外の場でむかついた奴にいきなりボールを投げつけたりと、その精神年齢はやっぱり幼いですが…。その幼稚さがなければ、かなり好きなキャラだ。

そして、雲水は弟をサポートするという道を見出した、と。せつないですが、進の才能に対して己に絶望した桜庭が高見とのタッグに道を見出したように、この漫画では、凡人もそれぞれに自分なりの道を見出している。
そこで気になるのがモン太と一休の力関係ですが、モン太の場合は彼を結局超えられず、葉柱のように男泣きしてしまうのだろうか。
セナVS阿含よりも、実はそっちの方が気になり始めています。『努力が才能を超える』というのは、この漫画における初期からの重要なテーマですし。

みえるひと 第四十一譚:バオ
「…みんなと同じになりたい──…」という明神の言葉に過去を思い出し、表情を曇らせるツキタケ。その頭に無言でそっと手をおくガクのまなざし。ほんの数コマだが、ガクの思いやりが沁みました。こういう何気ない場面の描写がすごく素敵だ、この漫画は。

「自分が好きな人が、私は好き。違うところがあるのは、当たり前!!」
ヒメノが語った、『他の存在と同じ姿であることよりも、理解しあえるかどうかが重要なこと』『自分を愛する』という今回のテーマ。これは、ヒメノの人柄を示すと同時に、「──…そうだな」『──…今はオレもそう感じる』とヒメノに短く応じている明神の心をも、大きく救っている。
しかし、これらのヒメノの言葉は、表向きはバオという象の陰魄が浄化されて救われるという形を以て具象化されてしまっており、明神の心の救いという部分は、このほんの一コマのささやかな描写でわずかに示されているに過ぎない。
前回も、明神の心情の変化をそのまま描写せずに情景描写で間接的に示している場面で、その手法が小説的だと感嘆したが、今回の描写の抑え具合をもみるに、どうやら、この漫画では明神の惑いや救いといった心情の揺らぎを意図して省略してしまっているようだ。
この点について、ちょっと語ってみます。興味ない方は枠内は飛ばすことを推奨。
■主人公・明神の精神面の救いの描写省略について
主人公格である明神の葛藤や救い。
本来なら、NARUTOなどに顕著な、表情の大ゴマ多用・心象風景や過去の記憶場面の挿入という手法で、彼の心情を大きく取り上げ、少々大げさなぐらいに(つまり、少年読者にもわかりやすく)描写すべきところだと思われる。
そして、今回のコモンとの戦い以降で得た、明神の精神面の救いは、実に大きい。以下にポイントを列挙してみる。
  • 第三十七譚(17号):地蟲に「だから霊に触れられる。素晴らしき、力じゃ」と告げられた場面。
    明神は、案内屋としての道を見出して現在は一見、たくましく成長しているように見えるが、霊が見える能力と他人とは異なる白い髪のせいで、幼い頃に己自身を厭わしく思っていた記憶はまだ心の傷として残っていたようである。異端児である自分を、愛せない。
    その癒えない心の傷が、地蟲の前掲の言葉によって救われる。あの厭わしい『みえる』力と『白い髪』が、救いたい人を救える力となる自信へと転換する、瞬間。

  • 第四十譚(24号):もはや動けない明神を置いて、むざむざ敵の懐へと赴いてしまうヒメノ、けれど結局は戻ってきたその理由。
    ヒメノが敵の元へ歩み去る場面では、結局は救えなかったという大きな絶望が明神を襲い(ただし、その描写も抑えられている)、そのまま彼は気を失ってしまうが、意識を取り戻した時に、守れなかったはずのヒメノがいた。
    「犠牲より、全ての可能性を捨てないこと」というヒメノの選択は、その場にいた仲間たちの命(魂)を救っただけではなく、明神の『ヒメノを救えなかった』という絶望をも払拭し、彼の心を大きく救っている。それが、ヒメノの背景の日差しや青空に象徴されている。

  • 第四十一譚(25号/今話):明神の語るマイノリティの孤独と、姿は重要じゃないと応じるヒメノの言葉。
    明神の「マジョリティ(たくさん)の輪から外れてしまった…自分(ひとつ)。(中略)…みんなと同じになりたい──…」という言葉は、ツキタケの過去の記憶を呼び覚まし(そしてそれはガクの手とまなざしによって救われる)、そして最終的にはそれに応じたヒメノの言葉でバオの魂が浄化されていくという形で、周囲のものの自覚と救いを導き出している。
    けれど、明神のその言葉は、アニマへ思いを馳せると同時に、実は、『みえる』力と『白い髪』を持ってしまった自分のマイノリティとしての孤独を語っているのである。マイノリティであるがゆえに、アニマ達の心情をも理解できる、という、皮肉な状況。しかし、明神自身の孤独や辛さの描写はなぜか徹底的に省かれ、今話では“アニマの心情を想像する”というポーズだけにとどめられてしまっている。
    しかし、表立って示されることのないその明神の孤独は、先だっての地蟲の言葉に加えて、今回のヒメノの言葉によって更に救われる。それは上掲の「──…そうだな」『──…今はオレもそう感じる』というささやかな一コマに、凝縮されている。

『みえる』力と『白い髪』という、他の人々とは異なる己。『なぜ皆と違うのか、皆と同じになりたい』という明神の渇望が、今回の戦いにおける地蟲やヒメノの言動を通して、ようやく払拭され、彼は、大きく救われたのである。ようやく、ありのままの自分を愛せた。

けれど、この主人公格である明神の精神的葛藤とそれを乗り越える過程は、非常に少年漫画らしいテーマでありながら、わざと描写を抑えられている。
それはおそらく、明神がこの漫画における主人公格・ヒメノの庇護者であり、皆を導き、助ける立場であるためだと思われる。
少年漫画において、揺らぎ、葛藤し、そして精神的に成長していくのは、少年や若者などの若輩者である。その若輩者を守り導いていく立場である明神の葛藤や成長までをも描いてしまうと、話の軸がぶれてしまって物語の視点が定まらなくなってしまう。
だから、ヒメノの精神的成長を主軸にすえ、それを彩るようにバオやツキタケの救いを描写し、そして彼ら皆の庇護者である明神の物語中における安定感を損なわない為に、彼の精神的な揺らぎの描写は意図して抑えている。それゆえに、少年読者はヒメノ、そしてツキタケやバオには感情移入しやすいであろうが、教師のような存在である明神は、その頼もしさへの安心感や憧れこそ呼び起こすものの、共感を寄せる対象とはなりがたいであろう。
少年漫画の構成としては王道であり、正しいのかもしれないが、明神の葛藤と成長という美味しいテーマがそのために物語の奥へ引っ込められてしまっているのは、個人的には非常にもったいないと思う。

救おうとしたはずの相手に実は自分が救われていた──これは、クナイとみちるの関係によく似ている。クナイのそんな心情の推移とみちるへの感謝は『謎の村雨くん』でははっきりと描かれているのに(そして、とても燃えるテーマであるのに)、これと同じ、ヒメノと明神の“互いに救い救われる”という関係は、この漫画では最後まで表立って描かれることはないのだろう。惜しい、の一言である。

ただし、この漫画を明神視点で描こうとすれば、やはり上で書いたように話の軸がぶれてしまい、そしてその抑えた描写から醸し出される叙情性もたちまち損なわれてしまうのだろう。
この漫画は、ヒメノと同じ視点の子ども達だけでなく、明神の視点に立てる大人達にも読んでほしい漫画である。
子どもだけの読物にしておくには、もったいない作品だ。

澪の露出度に反応しているのが、明神やガクではなく子どもであるエージやツキタケだというのが、妙にリアルで笑える。

うおっ、生きているのかヒメノの母は!?
なんか急速にまとめに入っている感があるが、最終回が近いのだろうか…?
個人的にはネウロと共にプッシュしている作品なので、話の流れがぶったぎられるような終り方だけはしてほしくないです。
いい形で作品がまとまりますように…!

べしゃり暮らし Vol.24:意地っ張り
ねずみ花火の天然っぷりに脱力。怒りも失せてしまった。悪気がなさそうなのが、またなんとも言えず。
お袋さんが外に働きに出ていることを知らないのは仕方がなかったのかもしれないが、あのこきおろしネタで店が不況になることぐらいは察してもよさそうなものなのに。はぁ。

今回の父と息子の衝突というテーマはよいなぁ。
母親が亡くなった頃は圭右もプライドや大人の事情など、さまざまなしがらみを持っていなかったため、ストレートに『変なプライド持たずに店を閉めりゃよかったのに』と思えたのだろうが、今回の辻本への意地っぱりを自覚することで、次第に父親の意地も理解できるようになってゆくのだろう。
この親子の衝突は、圭右のプロへの道のりの過程だけでなく、父子の衝突とその後の相互理解、和解への伏線にもなっている。

そして、子どもを持つ親である私としては、圭右の子どもらしいストレートさも清々しくてよいが、それよりも親父さんの方にやっぱり感情移入してしまう。
死なせてしまった妻への申しわけない気持ちを『死んだのはお笑い芸人のせいだ』と責任転嫁してしまっている、やましさ。そのやましさは、消えない。ねずみ花火のネタはたしかに妻の死の原因の一端だが、それでも妻の死を回避する方法はあった。なのにそれをできなかったのは、なぜか。
お笑い芸人のネタ作りの苦労に対する理解、亡き父から受け継いだ店をつぶしたくないという思い入れ、そんな自分の気持ちを汲んで店を守らせてくれようとした妻の気持ちに応えたい思い。親父さんは、自分の本心以外の、他人へのさまざまな思い入れにからめとられてしまっている。それがため、身動きがとれず、みすみすお袋さんを死なせてしまった。とても優しく、哀しい人だ。
お笑い芸人は悪くないという圭右の言い分はある意味真実をついていると自分でもわかっている。だから、彼らの色紙は捨てずに、段ボールに未だにそっと保管している。

『みえるひと』もだが、こうした人間関係や心理描写を言葉少なに、けれどしっかりと描いたドラマはよい。堅実な分、地味なのが小学生受けしなさそうで心配だが、こうした地盤のしっかりした漫画も、少年漫画誌に常にあってほしい。
子ども達がこれを読んだ当時は理解できなくとも、大きくなってから『ああ』とふいにわかる時がくるかもしれないから。

その他 
■ナルト
ここで殺すということはつまり、ナルトを“友”と認めている、と。つながりを断ち切って最強の力を得るには「最も親しい友」という己の中に存在するつながりをはっきりと認めなければならない、という矛盾が面白い。

■ブリーチ
松本の蹴りを防ぐとは。浅野啓吾、実は強い?

■ワンピ
チョッパーに泡を降り注いでやれよカリファ、うわーん! でも、サンジがとりあえず元通りになっただけでもよしとしなければならないか。

■エムゼロ
37歳って父ちゃん若すぎ! 絶対に40以上だと思っていたのに…。愛花の歳を鑑みるに、意外に出来婚なのか?
そしてハリポタネタが! ヒットして知名度も高い作品のネタを持ってくるのは、「マンドレイク」の詳細な解説も省けて一石二鳥だ。マンドレイクをかわいくした点もうまいアレンジだなぁ。

■リボーン
ツナの棄権勧告に加えて、獄寺までもが真剣にランボの心配をしている。ツナチームの長所は『仲間を思いやる優しさ』という路線なのね、なるほど。

■ペンギン
ツキミの毒舌は母親譲りだったのか! ツンエロ委員長、ついに相手が好きだとはっきり示しちゃったよ。
最後のストレートな自虐ネタはやらないでほしかったなぁ。今までのネタでは自虐っぽさもうまくさばいてきたのに、残念。

■銀魂
冒頭のカラスの糞ネタは、幕開けだったのね。
つーか、ついに感想業界だけでなくWJ誌上でも「ヤムチャ」という比喩が出ちゃったよ! 以前にボーボボでもヤムチャ化ネタがあったけれど、ヤムチャネタはドラゴンボール読者しかわからんから、あまりやらないでほしい。ちょっと食傷気味。

■ボーボボ
「ヘッポコ丸をもて遊びやがって」というボーボボの一言で満足です!

■テニプリ
「何や、最後まで試合続けれる奴おれへんのか、不動峰?」金太郎がちゃんとツッコんだ!
…で、渡邊オサム(27)は浦原のパロディなのか?
そして、橘はけじめのつけ方がなんだかずれている気がする。

■とらぶる
制服着ているのに、尻尾まるだしかいっ!

■ムヒョ
「一番の要因は、リオ先生の存在…!!」「優秀な魔具士がいねーと禁書の封印は解けねーからナ」
…もしかしたら、リオの母親を殺したのは、箱舟の連中ではないだろうか? リオを禁魔法律の世界に引き込む為に、彼女の心を闇に染め上げる為に。
もしこれがドンピシャリで、その事実がリオに知られたなら、リオの気持ちがこちら側に戻ってくる可能性も十分にある。彼女の心が揺れ戻ってくる過程が今から楽しみだ。

■村雨
やっぱり、みちるの鼻の怪我について煽ったのはわざとでした、父ちゃん。ただ、息子のスパイ修行に拍車をかけるためという読みは間違っていました。まさか、ダメ出しして破門しようとしたとは。
そして、結果的にみちるに救われたという展開が熱い。『この人を守れる力なら欲しいと思ったから!』 恋でも愛でもない、強い願い。燃えます。

■こち亀
話はまぁ面白かったけれど、これ、小学生に読ませていいのか?

■ネウロ
私も弥子と同じで、国語はいいが数学・化学・物理などがからきし駄目な、見事に文系タイプだったので、もう共感しまくり。親に「お前のおじいちゃんは“数学の神様”と言われてたのに…」と絶句された思い出まで彼女と似ている! 滂沱であります。でも、世の中には理系・文系科目なんでもござれな秀才や天才もゴロゴロいるんだよな。くー、羨ましい。
閑話休題。
ネウロ、やっぱり魔界ツール使ってインチキする気満々じゃないか! でも、弥子に舐めろとしきりに誘いかけつつもそれ以上はちょっかいを出さずに静観しているのは、「こんなレベルの高い学校選んだの、私だし」と自力で頑張ろうとする弥子の姿勢を密かに認めているからに違いない。

■太臓
会長ファンとしては萌えるぅぅ!
胸の感触共有だとか、暴露しかけた木嶋への鉄菱だとか、とどめに目覚めの朝で共寝だとか、会長の顔が真っ赤に爆発する事態だらけで楽しかったです、うへへ。よかったね、会長!
そして、さりげなく優しいあいすのポイントもアップ。二人とも好きなキャラだなぁ。

■ツギハギ
真備が舞台上でまともな挨拶をしたことに、びびった。

■タカヤ
クロトよ、生きる為の捕食と快楽の為の殺戮を、混同してくれるな。人間を殺す理由そのものより、その詭弁にむかつく。
タカヤの「オレたちは確かに牛とか食って生きてるけど、逆に人を殺すような牛だっているわけで」というフォローも微妙にピントがずれていて、もどかしい。
これを読んで、自分達が食べている食肉の原型である牛や鳥が殺される様を想像してしまった現代っ子達は、どんな気持ちになるのだろう。タカヤのフォローをもう少しまともな言い回しにしてほしかった。

■ジャガー
「またしても何もやらなかった…。荷物の持ち逃げも、おばあちゃんへの上四方固めも…」という台詞に吹いてしまった。
ハミィは本来、非道なキャラなのだろうが、その非道っぷりが突き抜けてギャグのレベルに達しているせいか、見ていてギョッとすることはあってもあまり腹が立たない。
卑劣なキャラは苦手だが、不快感を覚えないハミィはそういう意味で貴重な存在だ。

つい惰性で、全感想書いてしまいました。全感想書きはもう習性のレベルに達しているみたいです、とほほ。今後は、作品数をもっと削ぎ落とすよう意識しないと。

次頁]  [目次]  [前頁


- Press HTML -