或る逃避行

《賢人》

 その巨大な岩の前に立った時、少女はいうに及ばず、少年ですら、一種の感慨を抱いた。
 なんといっても、岩が生きているのである。
 恐る恐る二人が近づくと岩は眠りから覚め、その耳をつんざくようないびきもようやく止んだ。
〈……おお、なんとまぁ、久しぶりの客人(まろうど)だ……〉
 岩の目が、懐かしさで一瞬、細められる。
〈よく来てくれた、子供達。さぁ、もっと近くへ…〉
 二人が近づくと、二人をのせた岩の掌がおもむろに岩の顔へと寄せられていく。
〈こんにちは。私にわかることなら何でも答えよう。〉
 少年は、未だ緊張を解いてはいなかった。その気になれば、この岩の生き物がその掌で二人を握りつぶすのはたやすいことなのだ。
 しかし、少女の方は臆することなく、高鳴る胸を押さえながらもまっすぐにその岩の顔へと向き合い、こう問いかけた。
「貴方は、六賢人の一人、“大地の顔”ガイア様でいらっしゃいますか…?
 私はハロ家の次期司祭、マチルダと申す者でございます」
 そして両腕を胸の前で交差させ、足を屈めて最敬礼の姿勢をとる。
〈私はガイア。あなたのいうように、大地の顔。“希望の炎を灯す者”マチルダよ。〉
 しかし、未来の二つ名で呼ばれたとは気づかずに、少女は表情を曇らせる。
「“希望の炎”…それを守るのが代々のハロ家の勤めです。でも、なぜ、私なのでしょうか?
 なぜ、寺院の炎を守るために、人を差別しなくてはならないのでしょうか?
 修行を積み、悟りを開き、他人を導く…それをやらなければならない必然性は、どこにあるのでしょうか!?」
 日頃の思いが奔流のように溢れ出る。

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