惨禍

《出会い》

 少女は、焦りのためか、森の奥へ逃げ込んでしまっていた。森の奥には、人間と相入れぬ獰猛な生き物が少なくない。そして、まだ若い少女は、そんな獣達の格好の獲物であった。
 少女が不穏な気配にようやく気づいた時には、既にそれは間近まで迫っていた。
 そして、少女がとっさに兄を思い浮かべ、身をすくめた刹那…

  グァギィィン!!

 なんとも形容しがたい、いやな響きが耳をつんざく。少女が、それが自分の身が砕かれた音ではないと気づくまでに、少し間があった。
 恐る恐る顔を上げると、そこには自分と同じ、犬族の男が立っていた。それも、ただの犬族ではない――狼である。
 その足元では、背骨を打ち砕かれた大蛇の化け物がまだのたうちまわっていた。
 それに対して、その狼族の男は容赦なく斧を振り下ろし、首を刎ね飛ばした。首の断たれる鈍い音とともに、血飛沫が舞い上がる。
 初めてまともに目にする、殺戮の場面に少女がすくみ上がっていると、その狼族の者が声をかけてきた。
「…おい、大丈夫か? よかったよ、ちょうど通りかかって。
 ところで、お前はセタ村の者か? あそこも危ないらしいということだが、何か知らないか? 俺はこれから調べにいくところだったんだ。帝国軍が越境して侵略してきたというのは、本当なのか!?」
 男の矢継ぎ早の質問にも、少女はまともに答えることができなかった。
 今日、立て続けに起こった出来事に混乱していた彼女の緊張の糸は、ここへ来て、切れてしまったのだ。
「あ…ああ、兄さん…嘘でしょ、こんなの……ウウッ…」
 ついに少女は、啜り泣き出した。
 これを見た男は眉をひそめたが、座り込んでいる彼女の脇に屈み込んで尋ねた。
「お前、兄がいるのか…?」
 少女は、かろうじて頷く。
「そうか…俺にも、姉さんがいるよ。姉さんも今、俺と同じようにこの国のために動いている。どこでどうしているかは知らないが、きっと立派にやっている。
 お前の兄も、立派な奴なんだろう?」
 その男の言葉に、少女ははっと顔を上げ、そして言った。
「あ、あのっ、王様の兵隊さんなんですか? む、村が…燃え出して…その後、どうなったのかわからないんです、父さんも母さんも兄さんも! た、助けて! お願いっ!」
 少女が思わず男の胸にすがりつくと、男は一瞬、困惑したような表情をみせたが、すぐに厳しい顔つきになった。
「火をかけたのか…なんて卑劣な…! よし、報告は後回しにして、誘導を行なうぞ!
 お前はどうしたらよいかな…隣村まで一人で行かせるのも不安だしな…」
「わ、私も行きます! 兄さん達が…お願いします!」
「……それがいいか。よし、俺から離れるんじゃないぞ! いいな?」
「は、はいっ!」
「じゃあ、急ごう! …そうだ、お前の名前を聞いていなかったな。俺はラルク。お前は?」
「ミ、ミアといいます」
「そうか、ではミア、行くぞ!」
 言うや否や、狼族の兵士は駆け出していた。
 少女は、そのしなやかで力強い背中を追っていくのがやっとだった。しかし、先程の不安は嘘のように和らいでいた。

 しかし、村に向かう途中で出会った避難者の話は、少女を絶望の淵に陥れるものであった。
「村は駄目です、もう…。私は、妻と一緒にこうして逃れるだけでせいいっぱいで、何も持ち出す余裕さえ、ありませんでした…。破壊、ただそれしかいいようが、ありません…」
「そんなに酷いのか…! チンピラ以下だな…帝国も堕ちたもんだ。とりあえず、隣村へ行くのがいいな。この女の子も連れていってくれ」
 村の若夫婦と兵士の会話が、少女にはひどく遠いものに感じられた。
「ミアちゃん、あなたは無事だったのね…! よかった…! 私達以外には助かった人はいないとばかり思っていたから…」
 顔なじみの女性の言葉の意味を、少女はまだ理解しきってはいなかった。少女の頭に浮かぶのは、別れ際の兄の表情。
(大丈夫だって、いった…兄さんは…)
「おい!? 大丈夫か!」
 兵士に肩を揺すぶられ、少女ははっと我に返る。
「とにかく、お前はこの夫婦と一緒に隣村へ行け。俺は、偵察の義務があるから、村に行く」
 少女は、思わず兵士の目を凝視した。

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