惨禍

《叫び》

「…いやああぁぁぁ!!」
 少女の喉からほとばしる絶叫に、若夫婦はもちろん、兵士までもが思わずビクリとした。
「こんなの、嘘! 兄さんは、逃げ切れると言った! 父さんも母さんも! 会うまではどこにも行かない!」
「…駄目だ! お前が戻っても、意味がない! 俺が様子を見に行くから、お前は隣村へ行け!」
 兵士は、少女の肩を両手でつかみ、顔を覗き込むようにして厳しく言い聞かせる。
 若夫婦の話を聞いただけで気絶しそうになったこの少女に、村の惨状を見せるわけにはいかなかった。
「兄さんと同じことを、いうのね…!」
 涙ぐんだ少女の目が、兵士を見つめ返す。
「ミアちゃん、行かない方が、いいよ…」
 顔なじみの男性の言葉には、単なるなだめ以上のものがあった。その響きに、少女はようやく、村が恐ろしいことになっているらしいと実感する。
 聞きたいのに、どうしても聞けない。言葉に出した途端、何かが崩壊しそうな、恐ろしい予感。
「じゃあ……?」
 少女の言わんとすることを悟り、その男性が答える。
「わからない…。他の人達に気を配る余裕なんてなかったから…」
 今度こそ、少女は全身の力が抜けていった。
 暖かな腕に抱かれた気がした。兄さんのような。

 ……重い眠りからだんだん、浮上する感覚。
 重いまぶたをうっすらと開けた時に少女の視界に入ったのは、いつもの見慣れた天井ではなかった。
「!?」
 何かいやな予感がして、飛び起きる。
「…ここは!?」
 少女は辺りを見回す。見慣れない部屋だった。途端に、記憶が波のように押し寄せてくる。
(…あれは、夢じゃないの…!?)
 少女が混乱していると、あの若夫婦の片割れが部屋に入ってきた。
「あ、気づいたのね! よかった…。それで、慌ただしいんだけど、ここも避難した方がいいということなの。もっと堅固な造りの街とかに、ね。
 ミアちゃん、もう、大丈夫? とりあえず腹ごしらえしたら、出発だから…」
「ここ、どこ!?」
「あ、隣村よ。ここの人達も、避難を始めているわ…。立てる?」
「え、ええ。…あっ、あの人は!?」
「あの人? …ああ、ラルクさんね。私達にミアちゃんを頼むと、行ってしまったわ。偵察しか出来ないかもしれないと言っていたけど…」
「じゃあ、ここにはいないの…?」
「大丈夫よ、きっと…」
 そういった女性の表情には、様々な感情が入り混じっていた。村の惨状を思い出したのであろう。
 しかし、少女はその表情を読み取る余裕さえもなかった。いきなり、心が石の固まりになったような気がした。胸が、ひどく重い。
(兄さんは、皆は…? やっぱり…?)
 涙がじわりとにじんでくる。まるでぐんぐん吸い取られるかのように、身体の力が抜けていく。
 しかし、少女にはゆっくり思いをめぐらす時間も与えられていなかった。
「おーい、あんた達も早く避難しろよ!」
 この村の見回りをしている人達の声が響いてくる。ここも、もはや安全とはいえなくなっているのだ。
 少女は、考えたくないことを封印した。そして、ベッドから立ち上がった。
(死んだと決まったわけじゃない…私は、死んでいるところなんて見てないんだから…)
 我ながら虚ろに響く励ましの言葉だったが、そうでも思わなければ、やっていけそうになかった。
(私だって、危ないところをあの人に助けられたんだから…兄さん達だってもしかしたら…)
 戦争という非常事態の下では、一少女の思いなど塵芥の如きものである。少女の思いは、戦渦に飲み込まれ、消えていった。

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