惨禍

《怒り》

 その頃、セタ村では、兵士が予想外の惨状に呆然としていた。
 何も、ない。
 かつてあったであろう、家々も畑も、何もかもが焼き払われていた。ところどころに残った残骸の中にある、生活臭漂う雑貨などが、ひどく痛ましかった。
 生存者の見込みは、絶望的だった。煤の臭いの中に変色した血の臭いが混じっていて、なんとも言えない嫌な臭いを醸し出していた。
 兵士に出来たのは、生存者の有無を一応確認し、変色し始めている遺体の処理をすることだけだった。野良の獣達に村人達の遺体をむざむざ貪らせることは、避けたかった。
 帝国兵は襲うだけ襲い、さっさと引き上げたらしい。目的はさっぱりわからなかった。
 かつて村であった場所を見回っていると、広場らしきところに一本の立て札を見つけた。惨状の中にあって、それだけがなぜか綺麗に残っている。
 兵士はそれを見つけると、急いでその立て札の下に駆けつけた。そして、その立て札を見つめる兵士の目が、暗い怒りの色を帯びてくる。

『ルーヴランドに告ぐ

偉大なる我がエナンシャルク帝国は、木馬王リクロット四世の偉業以来、代々、世界の平和維持と統治を目指してきた。
諸民族の思想の統一こそが、真の平和をもたらすものである。
しかし、この崇高な理想を理解せず、まつろわぬ者どもが跡を断たない。
この嘆かわしい現状を打破すべく、我が国王、第十五代目イルゾワール・エナンシャルク皇帝陛下は、全ての国々を支配下に置き、統治することを宣言された。
全ての国境を無くし、思想を統一し、そして唯一の統治者が全てを治める。これこそが、恒久的な平和をもたらす唯一の方法である。

これは、警告である。
この警告を理解し、早急に我が国の傘下に入ることを要求する。
さもなくば、この国の民はまつろわぬ者との烙印を押され、この村の者達のように、永劫の闇に葬られるであろう。
判断を誤らないことを望む次第である。』

 そして最後の行には、日付けと帝国の紋章が入っていた。
 読み終わるや否や、その兵士は立て札の軸をへし折った。
「…たった、それだけのことで…そんなつまらない理由でこんなことを…! ふざけるなぁ――っ!!」
 やり場のない怒りの声は、空中に虚しく消えていった。

 しばらくして、兵士はのろのろと立て札の貼り紙を剥がし始めた。報告だけは、しなくてはならなかった。
(弔い合戦だ…!)
 兵士の胸は、怒りの炎で焦げそうなくらいであった。なによりも、この惨状を食い止められなかった自分自身が歯痒かった。何一つ、守れなかった。誰一人、救えなかった。
(…いや、あの子だけは救えたか……?)
 あまりに普通の、血を見たこともなさそうな少女。あの子がこの惨状を見ずに済んだことに、兵士は心底ほっとしていた。
(帝国兵はとりあえずは引き払ったし、隣村の者達も避難する余裕はあるだろう…あの夫婦が上手く伝えてくれているといいが…)
兵士は、どうしようもなく重苦しい気持ちのまま、かつて村であったその場所を去った。

 しかし、その兵士が王の元に報告をすることが出来たのは、数カ月後のことだった。王の居場所もはっきりせず、その上、あちこちで混乱をきたしていたためだ。
 そしてその後、その兵士は、ようやく再会した姉とも再びはぐれてしまったが、彼は所々で出会った同国の兵士達を率いて砦にこもり、帝国兵と善戦した。
 そのうち、彼は『砦落としのラルク』として敵国の皇帝にもその名を知られるようになった。その戦う姿は、凄まじい気迫に満ちたものだったという。彼を駆り立てていたのは、怒りであった。
 しかし、そんな彼の善戦も、味方の裏切りによって、阻まれてしまった。『影』が、一人の味方の心に取り付いたのだ。戦争によって心をすり減らし、倦んでしまった隙を狙われたのだ。背後からの一太刀、それだけで彼を絶命させるのに十分だった。
 自分の力の限界、仲間の裏切り、杳として知れぬ姉の行方…そんな無念を抱いたまま、彼は奈落へと落ちていった。

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